tohkoという表記より、トーコという表記のほうがわかる、という人もいるかも知れませんね。
1998年に小室哲哉のプロデュースでデビューしましたが、最近はあまり名前も聞きませんね。
誰もが知っている代表曲と言えるものに恵まれなかったのですが、
小室哲哉さんのプロデュースなのに売れなかった理由はあるのか、現在はどんな仕事をしているのか調べてみました!
tohkoは名義を何度か変更している
デビュー当時は、トーコという名義で活動するが、3rdシングルからtohkoに改名した。
2002年以降は籐子という名義で活動し、2009年に事務所を移籍する際に再びtohko名義に変更した。
そんなに変えなくても・・・と思ってしまいますが、名前で運気が変わる、なんて言いますからね。
ちなみに、本名でもないければ、ご本人の名前と全く関係ないようです。
小室哲哉さんが名付け親だそうです。
別名:トーコ、籐子
本名:不明
生年月日:1977年5月25日(46歳)
出身地:東京都
出身大学:青山学院大学文学部
職業:歌手、作詞家、舞台女優
デビュー:1998年
事務所:フェニックスミュージック
tohkoさんは、シングルCD13枚、アルバム5枚(ベストアルバム含む)を発売しています。
2000年~2016年には、舞台女優として活動されていましたが、近年の舞台出演情報はありませんでした。
tohkoデビューは小室哲哉プロデュース
デビューシングル
1998年に発売されたデビューシングル「BAD LUCK ON LOVE 〜BLUES ON LIFE〜」は、
小室哲哉・日向大介共同プロデュースという、今となっては、すご腕に!!と思いますが、
9週連続20位以内をキープしたものの、オリコン最高14位で30万枚ほどのセールスとなりました。
9週連続も30万枚もすごいことなのですが、どうしてもミリオンヒット!の時代なので、
すごい売れた!みんな知ってる楽曲という印象にはならないですね・・・。
この当時100万枚以上の売上も多い時代で、1998年の年間ヒット曲1位はGLAYさんの「誘惑」161.2万枚でした。
一つ言えるのは、小室ファミリー全盛期は1994年~1997年と言われており、
tohkoさんは、少し早すぎたようですね。
セカンドシングル
デビュー曲の発売から約3ヶ月後に「LOOPな気持ち」を発売。
当時は楽曲の発売スピードがすごいです。
こちらも小室哲哉さんのプロデュースでオリコン最高14位、
CMに使われるなど、やはり期待値はあったようですね。
14位でも十分すごいのですが、小室哲哉プロデュースと言われるとつい、それくらい?と思ってしまいます。
サードシングル
セカンドシングル発売から約3ヶ月後に「ふわふわ ふるる」が発売され、こちらもCMに使用されたました。
こちらも小室哲哉さんのプロデュースでオリコン最高16位、
ここからtohkoの名義となり、この時期に発売されたアルバム「籐子」はオリコン3位を記録しています。
そして、サードシングルで、レコード大賞新人賞を受賞しました。
当時は、ゆるやかなサウンドや柔らかい歌声で人気はありましたが、爆発的な人気とならなかったようです。
4枚めのシングルから売上がさらに下降していく
オリコン3位となったファーストアルバムの中の楽曲「It’s all about us〜from the motion picture “BEAT”〜」を
シングルとして発売するも、オリコン49位となってしまった。
こちらも小室哲哉さんのプロデュースです。
そして、これ以降も3か月間隔ほどでシングルを発売するも、順位が上がらず、ヒットしなかった。
tohko女優へ転身
2000年に舞台「レ・ミゼラブル」にてコゼット役で出演し、舞台デビューとなる。
CD発売し、歌手としても活動しながらの女優業を開始しますが、
翌年の舞台出演以降、女優としての仕事は数年あいてしまいます。
本人の意志として女優ではなく歌手でいたかったのかもしれませんが、
舞台女優として引っ張りだこ!みたいには、ならなかったようです。
tohko現在の仕事
最後の楽曲発売は、2018年に3枚めのアルバムでした。
2016年に発売した13枚めのシングルでは作詞作曲もされており、
CD発売とはなっていなくても、歌手として活動されているようです。
今は、いろんな活躍の方法がありますからね。
年齢的に結婚していそうですが、婚姻歴はなく、独身だそうです。
長年恋人もいないとご自身で発言していたようです。
かつての歌手が再ブレイクというのも、有り得る話なので、
tohkoさんも再ブレイクする日が来るかもしれませんね!
これからの活躍も楽しみです。
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